最高裁判所第二小法廷 昭和40年(オ)477号 判決 1967年6月09日
上告人 並木伝三
被上告人 国 外一名
訴訟代理人 岩佐善己 外一名
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告人の上告理由第一、二点について。
被上告人国が、本件各土地を、訴外中村六三郎から寄附を受けて国の所有に帰した土地として、道路の供用開始以来占有し、一〇年の経過に伴つて時効によりその所有権を取得した旨の原判決(引用の第一審判決を含む。)の認定判断は、挙示の証拠関係に照らし、是認することができる。論旨は、原審の適法にした右事実の認定を非難し、あるいは、この認定にそわない事実ないし独自の法律的見解を前提として、原判決に憲法その他の法令違背があるというものであつて、すべて採用することができない。
同第三点について。
上告人が訴状において五五四番の一宅地二九七坪のうちの六坪二合五勺と表示した土地が、原判決添付目録(四)の五五四番の九畑七坪八合四勺に該ることは、上告人もこれを認めて訴訟が進められて来たものであること、記録上明白である。したがつて、原判決に所論の判断遺脱の違法はなく、論旨も採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判官 奥野健一 草鹿浅之助 城戸芳彦 石田和外 色川幸太郎)
上告人の上告理由
第一点原判決は憲法違反の疑がある。
原判決が確定すれば私人である上告人所有の本件不動産時価三六〇〇万円以上のものが無償で国の所有に帰する。国又は公共団体が私人の財産を公共利用のため収用するには私人の任意な譲渡がない限り厳格な手続を履践した上相当額の補償をなすべきことは当然である。本件道路敷地の面積は約一八二坪余に相当し附近の地価は坪当二〇万円余に該るから時価三六〇〇万円以上の土地が無償で国に没収されたと同様の結果になる。本件道路敷地を上告人の先代文吉が所有するに至つた経過をみても大正十五年当時の金銭にして五三〇円と云う大金の貸金を回収するため上告外中村清十郎に対する抵当権を実行して取得したものであるその実行に当つては右中村の執行妨害甚だしかつたことは本件記録により明らかである。上告人先代(実質的行動は上告人)及び上告人はかかる幾多の困難を克服して昭和八年になつてやつと権利の実現を獲得したものである。当時から現在も本件道路附近一帯は上告人先代の所有宅地でありその宅地上には道路を挾んで上告人所有の貸家貸地が多数存在している関係上本件道路が被上告人主張のように、仮に昭和三年公道と認定されたとしても上告人としてはそれを知らず単純に私道の観念で自らも右賃料取立等のため本件道路を利用し続けて来たものである。従つて本件道路敷については上告人に所有権の登記もあり、公租公課も先代より二代に亘り三十余年の間今日まで納める一方上告人は町議員として公共のため十七年余の長い間奉仕している善良な市民であるのに著しく証拠の評価を誤り本件のキメ手となる上告外中村の寄附の点につき納得する判断をも示さず、かつ、上告人の法的無知(寄附の点の被告の主張については、その証拠をみるも寄附物件が不明で認否が出来ないため別紙図面について文書提出を求めたら、裁判所は之を取下げさせ、一方被告には時効の抗弁は取下げろと命令したのである。)を利用し、この原判決を確定せしめることは著しく憲法に違反するものと考える。
第二点本件の寄附の点につき著しく採証を誤つた審理不尽の違法がある。その結果不当違法に法令を適用した誤りがある。
(一) 本件寄附はなかつた。
原判決は寄附の認定として、乙第二号証の一、二、三を一つとしてあげているが之はいずれも寄附の際における「原本」である。先ずその一は争いない。その二は原本の「控」でなく原本そのものである。その上部余白に「本書発送然可授」とあり「控」であることはどこにもない。乙第二号証の三をみると之は「寄附願」そのものであり中村岸に押印がない。押印のある村野にしても第一審に於ける証言でこの土地に対する公課を現在も納めている不満をもらしている。府に於いて真実寄附を受けたとすれば原本と称すべきものは権利移転の登記に重要なものとして都(当時の府)に存しなければならぬのに、右二つの書面(乙第二号証の二、三)はいずれも存在せず、却つてそれが村役場にのみ存在していたのである。当時の府に公路台帳もその図面も存在していないのはかかる点から首肯し得る。乙第二号証の三が「控」であるなら元々寄附者に署名押印など不要である。村野は自分が氏名を自署したものと証言している。そして同じ書面を二つ作成したとは述べていない。この乙第二号証の一及び二がいずれも都でなく国でもなく当時の村役場に存在していたにすぎない。寄附の範囲についての図面が当時あつたが、その後焼失したとの証言があるが、乙第二号証の一、二、三のみが存して本来一綴として保管されているべきことが争いないのにその一部些少部分をも焼燬することなく、図面のみが焼失したとは到底考えられない。はじめからその様な図面はなかつたのである。
前述の如く担保価値として大正十五年当時五三〇〇円余の不動産を寄附したのが真実なら当時の村役場又は府よりの感謝状位存するものであるのに村野の不満(現在もこの土地について税金を収めていること、早く編入して欲しいとかの)併せてその様なものは何もない。
更に本件土地の競売の際裁判所から村役場府に公租公課について通知があり、この寄附の関係について知悉していたはずなのに之について何等の記録も存在していない。この寄附の前提各行為と乙第一号証の公報とを対比すると全く不可思議である。現状には右乙第一号証の公報に「起点」「終点」「重要なる経過地点」として掲げられているのを全つたく包含し、かつ幅員里程共に稍々本件道路と等しいもう一本の町道(当時村道)が本件道路に稍々平行して今もありいかなる道路を公道と認定したのか明示する証拠がない。結局本件道路の寄附に成功しなかつたとみるのが真実であり相当である。
(二) してみると仮に本件道路を公道と認定したとしても原判決は次の点で不当に法令を適用している。
即ち昭和三年公道と認定して以来府、都、国のいずれの官庁に於いても今日まで「公用廃止」の処分をしていないのであるから爾来いかなる時点でも民法取得時効の要件の一つである「所有の意志」を表現していない。否今日では附近町民の不可欠の道路としてメーンストリートを形成している。その過程にあつて国が所
有権を時効で取得するはずがないのに違法に民法の取得時効の規定を適用したのである。
第三点上告人が求めた事項を判断しない違法がある。
本件記録に徴し明らかな通り上告人はその一として「東京都北多摩郡清瀬町上清戸字芝山南新田東側五五四番の一宅地二九七坪の内六坪二合九勺」についても判断を求めているのに、原判決は全つたくこの点に触れておらず、上告人が求めていない「同所五五四番の九」について判断している。この判示土地は本件道路敷地の何処にも存在しないのである。